「わがままが通せる」ということはトップの重要な資質だと思うのです。
ただ「わがまま」であるだけじゃ、ふつう、みんながついていくことはできないので、「わがまま」にも説得力と合理性、提案に魅力があるかどうか、そのわがままが利益になるかどうか、という要素が付帯していくわけです。
それを踏まえて振り返ってみると、自分の場合「わがままを通す」より「人のわがままを実現する」方がやっぱり向いているんだろうと思います。
で、実現のためには、やはり、ただわがままを聞く、というだけではなく、「わがままを伝える」という力は必要なんだなあ。んー。
ひろゆきの日記の文章とちょっと似てるかも!?
投稿情報: Papimaru | 2005年3 月11日 (金) 11:20
そゆことを考えているヒトのところには、トップの資質をじゅうぶんに持っているかどうかは別としてやたらと「わがまま」なヒトが寄ってきたりとかしない?
これもまた、良いことなのか、悪いことなのか、わからずです。
投稿情報: せさみ | 2005年3 月11日 (金) 20:43
Hi, Papimaru:
ひろゆきなら
「わがままが通せる」ということはトップの重要な資質だと思うです。
になるはずです。「の」トルツメで。
論調が似ているのは否定しません。
せさみさん:
> 「わがまま」なヒトが寄ってきたりとかしない?
そうでもないかも? よく分からない(笑)
投稿情報: mumuZULE | 2005年3 月12日 (土) 19:01