前の前のエントリーでデジタル機器購入の動機についてコメントをもらって、ちょっと考えたのだが、家にあふれかえったデジタルガジェットの扱いほど、厄介なものはない。
いま、我が家には稼動していないものも含めて相当数のブツが溜まっている。
稼動していないのは、壊れたけれど修理に出すでもなく捨てるでもなくとってあるものと、古くなって代替品を購入したけれど捨てるでもなくとってあるものだ。
これが本なら、とっておく必要を感じないものは、古本屋に持っていくことができる。ついこのあいだも、「捨てるでもなくとってある」書籍を大量に古本屋へ売ったところだ。
年鑑や四季報のようなものを除けば、本は古くなることによって、まったくの無価値になることはない。しかも年鑑など、従来期間ごとに出されていた情報(データ)のほとんどは、いまやネット上で収集することができるので、購入しなくなってしまってるし。
情報、コンテンツの「座」としてのガジェットも、いつか本と同じように古くならない器として流通するようになるかもしれないけれど、単体で「メッセージ」足り得ないうちはそうはならないよなあ。Macとか、BOなんかのオーディオ製品は相当「メッセージ」に近いところにいると思うけど。
で、現状では「ガラクタ」でしかない我が家のモノたちは、やっぱり捨てるしかないんでしょうね、ええ。