「私」がいいひとである「必要」は必ずしもないのかもしれない。
できるだけかたちよくいた方が迷惑がかからず、「私」は迷惑をかけたくないというだけのことだ。
逆に「必要」であれば、いいひとであることをいつ止めてもいい。
「他人」(あるいは神?)には、いいひとである「それ」が「私」でなければならない、と私を説得できないだろう。私自身が説得しなければ。
で、何が必要? 何が必要でない? それを決めるのも自分。
諦めてはいけないともどこかで思うが、「全部私が悪いっていうことにしろそれがいいもうめんどくさいからそうしよーよそうしてよ」と言いたい自分も常に存在している。
だからそんな念みたいなもの、空気中にちりぢりに放って微塵にしてしまえ。
考えるんじゃない感じればいい。そして行動するのだ。できるだけかたちよく。
そうだ、迷惑をかけたくないからじゃない。そのほうが気持ちがよいからだ。
ひとの幸せが自分の幸せ(ひとの痛みが自分の痛み)なんていうのも傲慢な話で、ただ少しずつ幸せ(痛み)を積み重ねるときにそれを少しだけでも共有できることがある、ということではないか(花鳥風月を愛でるときのように)。
それで必要にして十分。神の視座を持つには私はあまりにも小さい(まったくちっちぇーよ)が、そんな瞬間にその業をうかがい知ることはできるであろう。
状況はよく分かりませんが、「いいひとである必要」なんて皆無だし、人にどう思われようがまったく関係ないんじゃないですか?
ただ一つ言えるとすれば、「人のために考えるべき時だと自分で判断したとき、あるいは人のために考えられるときは、真摯に考える」ということだと思うんですけど、個人的には。
全然的を外してます?
投稿情報: K | 2004年10 月20日 (水) 05:42
いえ、字句どおりにいって外してません全然。
最近ときどき書いて確認しないと気がすまないんです、すみません。
投稿情報: mumuZULE | 2004年10 月20日 (水) 06:22
この速さなら言える
私は君が好きだ!
てかね、一人で悩むの悪い癖。
投稿情報: arata | 2004年10 月20日 (水) 07:50
えっと、私の書き方のほうがわかりにくいんですね。
迷惑をかけないようにすることと、いいひとであることとはイコールではなくて、もう少し素直にまっすぐにぶつかって生きてみてもよいではないか、と短くするとそういうことなんですが、いろいろな角度でいろいろなファクターが存在していて今のところまだすべては実現できていません。
Kさんの言っていることはまったくそのとおりだと思っています。ただ「時(タイミング)」が読めないで迷ったりしていただけで。もう迷わないかも。いやでも迷うかも。わからないので風の流れに身を任せてみようかと思います。ちょうど台風だし。
投稿情報: mumuZULE | 2004年10 月20日 (水) 07:55
うわ、書いてる間にコメントキタ━(゚∀゚)━!。
まさに「この速さ」だった(笑)。
ありがとう。
皆さんの気持ちは知っています。とてもうれしい。
投稿情報: mumuZULE | 2004年10 月20日 (水) 07:58
身内としてはコメントしづらいけど
私はもともと「他人に嫌われたくない」という意識が強いほうだと思う。
しかし全方位外交というのはまずムリなので、何かしら齟齬が起きる。
最終的には「しょうがなかったんだよ。あのときは」という気持ちに落ち着かせることが多いかな。
投稿情報: Papimaru | 2004年10 月20日 (水) 11:12