きっかけは、あの有名な歌だった。
ねがはくは花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月の頃
自分自身が桜の咲く時季の生まれだし、満月というよりは満月の月の影を深夜に踏んで歩くことが大好きだったから、この歌は昔からとても好きだったのだけれど、中秋の月の話の中で出てきたことで、そういえば、と思い出した。
西行の生涯についてはほとんど知らなかったのだけれど、うまく伝えられない言の葉の綾の切れ端を歌の中に見た気がして、知りたくなった。本を2冊買ってみた。
今読んでいるのは辻邦生の『西行花伝』。はじめの章からやられた。この本の狂言回しを務める藤原秋実が、初めて師、西行に会う場面。
「では、何をしてもよろしいのでしょうか」
「いいでしょう。(中略)あなたも何が正しいかで苦しんでおられる。しかしそんなものは初めからないのです。いや、そんなものは棄てたほうがいいのです。正しいことなんかできないと思ったほうがいいかもしれません。そう思い覚ってこの世を見てごらんなさい。花と風と光と雲があなたを迎えてくれる。(後略)」
私が私であるということと、正しさは、切り離して構わない。というよりも切り離した方がいいのか。
涙が出た。本を読んで泣いたのは久しぶりだ。
白洲正子の『西行』も買ってあって、まったく違う雰囲気なのだけれど、こちらも楽しみ。
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