ここでいう旦那は夫さんのことではなく、旦那衆とかのダンナ。
かつて銀行はサロンだった。事業への融資先が集い、情報を交換する中でビジネスを育てる場が実際にあった――という話をしたのは、麹町のKさんだったかしらん。
金を貸すということとビジネスを育てる、ということが直結していて、金融とはそういうことだったんだろう。
今、銀行があんなふうになっちゃったり、こんなふうになっちゃったりしている中で、金融機能を持ち、事業の面倒を見るのはエージェンシー(広告代理店)なのだろうか。もしくはベンチャーキャピタルなのかもしれない。
そこでは事業は「面倒見られるもの」ではあるけれど、「自ずから育つもの」として生き長らえるのだろうか。
(っていうか、うちの会社、お金少ないからわがまま言えないけど、このままでいいんだろうか。本当は何やればいいんだろうか。お金があったら何に突っ込めばいいんだろうか)
などと考えていたところで、Kさんの日記を読んだ。
> グローバリズムの反対語は、ローカリズム(地域・土着)ではなく、アウトノミア(自立・自律)ではないか・・・。
ふむ。持つべきものは。
旦那からもらうお小遣いじゃないよなあ。
そしてやっぱり、お小遣いじゃない本物のお金を何に使えばいいのか判断・決定することと、多様性(ローカリズムでなくて)とは関係があるよにゃ~。。。ものさしをたくさん持つということだ。
……そういえば、私もネグリ=ハートの『帝国』、読んでないや。
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