カラオケに行ってきた。いつもお決まりで80年代洋楽ロックを歌うことが多いのだが、昨日はちょっと前から気になっていた浜崎あゆみの「Forgiveness」を歌ってみることに。
わたしの中で、あゆのイメージはRPGとつながっている。なんか、中の人がいそうである。
あゆの唄では、歌詞の外にシーンがある。物語すらない。Misiaの唄と比べてみるとよく分かる。歌詞の中には、気分(感動?)だけが濃縮されている。
ビデオがシーンを見せるから、この歌詞が成り立つのだろうか。とも思うが、ビデオの中にも「物語」はなかったりする。
なんでそれがRPGなのか、というと、「次世代」と言われた家庭用ゲーム機が出た後に作られたゲームとあゆのプロモーションビデオが似ているように感じるからだ。ゲームの中でのシーンと物語とプレイヤーの気分との関係が。
同じ傾向があるとすると、LOVE PSYCHEDELICOだろうか。ただ、そんなに大仰じゃないんだよね、ラブサイだと。対極には椎名林檎か。椎名林檎は古きよき唄うたいだと思う。
これがすごく受けているっていうことは、2000年になってから、というか、バブルがはじけた後、「物語」は消費されなくなってしまったのではないか。「気分」だけが切り取られて売買できるようになっているのかもしれない。ちょっといろいろ研究してみたくなっている。
で、あゆの歌詞が嫌いなのか、って聞かれるとスキなんだよね、これがw
別に若ぶってるわけじゃないんですよ。ゲーム脳だったりして。
浜崎あゆみの歌詞に対して、物語すらないって
捉えるのはなんとも悲しい人だなぁ・・・
彼女が昔から変わらず伝えてきた想いが特に
PVによって表現されているものをゲームと
捉えてしまうそのあなたの心に悲しさを感じるよ
投稿情報: HANA | 2004年7 月14日 (水) 19:38